日本三大人工美林のひとつに数えられる、地元奈良県の銘木・吉野杉。
造林史上最古と言われる植林の地、奈良県吉野。
吉野郡川上村には、現在も樹齢380年ほどの杉の人工林が残っています。
300年を超える樹齢。
どんな技術をもっても、どんな資源をもっても決して真似できません。
ここでは、吉野林業の歴史をご紹介いたします。
吉野林業の始まり
吉野における人工植林の歴史は古く、約500年前の室町時代までさかのぼることができます。
室町時代
(1500年頃) |
室町時代より植林が奈良県・川上村で行われた記録
(明治期 吉野林業の技術書『吉野林業全書』より) |
安土・桃山時代
(1586年) |
豊臣秀吉が吉野地方を直接領有。
吉野杉が大阪城や伏見城の築城などに用いられる。
その当時は天然の巨木が使われ、各地のお城やその他の建築にも、
盛んに利用された。 |
江戸時代
(1600年~) |
江戸時代からの「吉野ブランド」 の確立
徳川幕府の直領となり、本格的な植林がスタート。
木材需要の飛躍的な増加により、山地の森林資源は減少し始め、植林をする必要に迫られた。林業により生活を支えられていた地元の人々は、米などの農産物が作れない山地のため、山の資源で生き残ることに賭けたのだろう。しかし、刈出生産の過程でも利益を上げることは少なく、
一方では村に課せられる税金は大きいため、村の住民には造林地を維持する資力がなく、村では、郷内の有力者に林地を売却あるいは造林能力のある人に貸し付ける制度をつくり、造林を促進しようとした。 |
(1720年) |
吉野杉と言えば樽丸
酒樽の樽丸用材として付加価値の高い商品となり、吉野杉と言えば
樽丸という地位を確立。
木材利用技術の発達により販路が拡大される。
その後、造林の方法が集約化され、木材業者の組合による流筏路の
改良などの努力によって、造林可能区域も拡大される。 |
明治時代
(1868年) |
明治維新後、全国で大乱伐が流行するが、その風潮に乗らず、高齢林は維持された。 |
(1877年) |
材木価格の高騰
高齢林はやや減少するが、一方で再造林は確実に行われ、
さらに天然の雑木林は林種転換され、檜・杉の人工林が 拡大される。 |
(1898年) |
「吉野林業全書」土倉庄三郎
日清戦争後、日露戦争前の時期(明治31年)に完成した
「吉野林業全書」には、高品質の材を生むための林業技術と、
持続可能な発展を追求した林業方法が説かれている。
今日でも全国の林業家のバイブルとなっているこの教書は、
川上村出身の土倉庄三郎によって書かれた。 |
昭和時代
(1940年) |
樽丸から柱角の短伐期へ(昭和15年) |
(1970年) |
高級建築材としての人気を保つ。
「吉野材ブランド」の浸透
吉野杉ブランド材の高騰時代へ(昭和45年) |
(1980年) |
檜・杉の集成材単板時代へ(昭和55年) |
平成時代
(2000年) |
国内林業に陰り
一般の人々に、適切な価格で優秀な無垢材の木材製品を提供するため、
「川上さぷり(川上産吉野材販売促進協同組合)」設立(平成12年)
国内林業 / 吉野林業の改革へ
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吉野林業の特徴
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「借地林業制度とは」
借地林業制度は土地の賃貸契約制度で、村の山林所有者が村外の資本家に山林を貸して植林資金を出してもらい、木を伐って収入があった時に、村人が借地料として資本家に何%かを支払うシステムです。
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「山守制度とは」
借地林業制度が発達し、資本家が土地所有権を購入して山主になった場合、資本家は直接山林を管理することはできないので、村人の中から山林管理を頼む人を選びます。この山林管理制度が山守制度です。
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